すみだから“東京”へ
プロ野球選手になる夢に向かって一心に歩んだ学生時代、独立リーグ時代。夢を持つことの大切さを学びました。その後、人々の安心安全な生活・夢や希望に満ちた生活の基盤づくりが自身の使命であると考え、政治の道を志しました。
区議会議員として治水対策・有事の際の避難計画をはじめとする防災対策・キャッシュレスポイント還事業・公契約条例の作成など多くの区政課題解決に取り組み、また青少年の健全育成を目的として、わんぱく相撲や少年少女野球などに携わって参りました。
それら「夢ある街“すみだ”創造」に心を尽くせば尽くすほどに、都政の課題解決、都政との懸け橋の重要性を感じ、
「すみだ”から“東京”へ」歩みを進めたいと決意致しました。
「すみだ」の素晴らしき伝統と人々の絆を持ち込み 東京都政を刷新できますよう誠心誠意努めて参ります。
活動報告
中学入学式の日に、父と祖父と撮った一枚です。
当時、祖父は都議会議員として長く活動し、父は区議会議員として都政・区政の最前線に立っていました。
本来であればこの後、父が都議会議員選挙にチャレンジする予定でしたが、病により志半ばで断念することになりました。
「背私公行」──私心を捨て、公のために尽くすという信念は、祖父から父へ、そして私にも確かに受け継がれています。
穏やかに人に寄り添いながら道を切り開く祖父、真理を見抜きエネルギッシュに行動する父。
その背中に憧れ、私はこの道を歩んでいます。
二人の姿勢を胸に刻み、これからも一歩一歩、努力を重ねてまいります。
まっすぐに。藤崎こうきのこれまで。
すみだ生まれ すみだ育ち すみだ大好き!
地元の風景や人々とのふれあいが、今の原点です。
誰よりもこの街を愛し、誰よりも未来を思い描いています。
野球にかけた青春―貫いた“夢への直球”
小学生から独立リーグまで硬式野球一筋。
仲間と汗を流し、勝利の歓喜と敗北の悔しさを糧に成長。
苦しみの中でも全力を尽くす姿勢を培いました。
夢をあきらめない強い心と、熱い情熱が今の行動力の源です。
- 墨田リトルリーグ
- 東京青山シニア
- 青山学院高等部
- 東洋大学
- 人生初の長髪(資金難の為)
- 独立リーグ
- 小学校から中学まではラグビーとの二刀流
思い込んだら一直線!坊主頭に込めた“決意”
大学卒業まで勝負どころや人生の節目では、気合いを込めて“丸坊主”に。
自分を奮い立たせ、覚悟を決める儀式のようなものでした。
人と違っても、自分らしさを大切に。
そんな信念を育みました。
- 小学校卒業式
- 高校卒業式
家族と共に歩んだ“背私公向”の道
政治は遠い世界ではありませんでした。
家族一丸となって戦った祖父・山本賢太郎の都議選での経験、伯父・山本亨区長との対話。
“背私公向”―私事を越え、公のために尽くす姿勢を家族から学びました。
- 初めての選挙
- 曾祖父の書
夢を持てる墨田を目指して
区議会議員として6年間、誰もが夢を持てる墨田の実現を目指し、現場主義で区民の声を聞き、政策に反映してきました。
今、次なるステージ“東京”へ。その覚悟は揺るぎません。
- 本会議
- 委員会
- 区・都・国の連携
- 区・都・国の連携
- 駅 頭
すみだから“東京”へ。これまでと、これから。
父として 区民として そして一人の政治家として
子供たちが夢を抱き 若者が挑戦でき 働く世代が希望を持ち
高齢者の方々が安心して暮らせるまち――
そんな未来を このすみだから東京へ広げていきたい。
その志を胸に、これまでの歩みとこれからの覚悟を重ね、挑戦し続けます。
プロフィール
● 1990年4月墨田区生まれ
● 青山学院高等部卒業
● 東洋大学社会学部卒業 硬式野球部(全日本選手権2年連続優勝)
● 独立リーグ兵庫ブルーサンダース(13本塁打王)
● 第一回世界軟式野球大会日本代表主将(打点王ベストナイン)
● 衆議院議員松島みどり公設第一秘書
● 向島5丁目東町会副会長
● 第45回わんぱく相撲実行委員長
● 東京青年会議所墨田区委員会第50代委員長
● 自民党墨田総支部青年部長
● 墨田区議会自民党筆頭副幹事長
● 地域産業都市委員会委員長
- 藤崎こうき